質感は製造工程上やむ終えない物だった場合がおおく、今もまたそうだ。
それがスタンダードな時代感として継承される。
だから私はあえてダメージを入れるような処理は私の理念にある意味でそぐわないし、選択肢として上位には来ない。
見たい物がまだ子供だということだ。
今ではなく根本的な普遍性という部分で探求しているからかもしれない。
お客様を前にした時間を共有するパフォーマンス経験値も影響してるはず。
スマートな最小単位の工法がスタンダードとして継承されるわけではないところが面白い。
作ることと伝えることはまったく別次元のものだから。
そんな自我を押し通すことでしか存在価値を見出せないでいる。
がんばれ自分!